「忙しい」・・・って、「心がない」と書くんだよね。
「忙しい」と言っているときは、きっと心をどこかに置いてきているのかもしれません。「忙殺」なんていうと、心がなくて殺されているっていう意味だから、もっと大変だ。だから、なるべく「忙しい」って言わないようにしています。
「忙しい」という言葉を、「自分のキャパに比べて処理すべき事柄が多いという客観的な状況」を描写し、それを人に伝えるために使うこともあるけれど、それ以上に主観的な意味を込めないように気をつけてます。そうしないと、「忙しい」という言葉に自分が捉われてしまいそうな気がするから。
そうじゃないと、楽しいはずのことも、楽しくなくなってしまう。
達観というか(諦観というか?)、ここ数年思うことだけど、忙しくても、時間に余裕があっても、淡々とやる以上のことはできないし、それ以下にレベルを下げるべきではない。
でも、アウトプットは淡々としていても、その原動力はすっごいわくわくする熱いものなんだと思う。
この両輪が、うまく回りそうで、まだ回っていません。でも、なんだか回りそうな予感です。自分に期待しています。それまでは、このくらい(↓)淡々と達観してやっていこうかな、と思います。